日本書紀、風土記等へ登場による日本三古湯とは…



通常、日本三古湯といえば、最古級の史料である古事記、日本書紀、風土記、万葉集に登場する極めて歴史の長い温泉を指す。(平安時代の延喜式神名帳登場による三古湯についてはこちらを参照されたい)

つまり、次の3つの温泉のことである。

有馬温泉(兵庫県神戸市)
日本書紀「舒明記」に、約三ヶ月間、舒明天皇が摂津国有間温湯宮を行幸していることが記載されている。(631年頃の記事)
万葉集巻七には読み人知らずの歌として、「しなが鳥 猪名野を来れば 有馬山 夕霧立ちぬ 宿は無くて」がある。

道後温泉(愛媛県松山市)
古事記「允恭記」に、木梨軽太子が流刑された地の「伊余湯」としての記載がある。(435年頃の記事)
伊予国風土記逸文には、五回の行幸の記載、つまり(1)景行天皇、(2)仲哀天皇と后の神功皇后、(3)聖徳太子(厩戸皇子)、(4)舒明天皇と后の後の斉明天皇、(5)斉明天皇と息子たちの中大兄皇子、大海人皇子の訪問の記載がある。中でも聖徳太子は碑文を残してきている(現存せず)
日本書紀には、上記 伊予国風土記逸文(4)と(5)に該当する記載がある。

南紀白浜温泉(和歌山県西牟婁郡白浜町)
日本書紀に「牟婁温湯」「紀温湯」として記載。有間皇子が政敵に騙し討ちされるエピソードに出てくる。(658年頃の記事)
万葉集にそのときの有間皇子の歌が二首載っており、「磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば また還り見む」及び「家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」となっている。
また上記に関連する斉明天皇のほかにも、持統天皇(690年)、文武天皇(701年)が行幸したという記事がある。


更に四つ目を加えるとすれば、歴史的根拠から最有力となる温泉を挙げておく。
玉造温泉(島根県松江市)
ほぼ完本として残っている出雲国風土記に「川辺に湯が湧き、市が立ち、老若男女が酒宴を楽しんでいる。この湯に入れば皆美しくなり、あらゆる病気がたちどころに治る。いにしえから今に至るまで、効き目がなかったことはない。だから、土地の人は神の湯といっている。」という記載がある。

■史書について■
・古事記
 和銅五年(712年)、太安万侶(おおのやすまろ)によって献上された(現存する)日本最古の歴史書。
 神代~推古天皇の記事が記載されている。
・日本書紀
 養老四年(720年)、舎人親王ら編纂の史書で我が国最初の国史書。
 神代~持統天皇までの記事が記載されている。
・万葉集:七世紀後半から八世紀後半頃にかけて編まれた日本最古の歌集。
 最終的には大伴家持によって完成した。
・風土記:奈良時代初期(713年)に編まれた地誌。
 出雲国風土記がほぼ完本で残ってるほか、播磨国風土記、肥前国風土記、常陸国風土記、豊後国風土記が一部を欠損しているが残っている。
 その他の国の風土記は実存せず、他書物等で引用される逸文という形で確認できるに過ぎない。
 よって道後温泉の覧に記載した伊予国風土記逸文とは、江戸時代になってまとめられた逸文に依ってるに過ぎないことは一応注意されたい。


(2009/06/23記す)


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